
この暑さの中、元気に成長し続けるのは蔓性植物ばかりである。
道を歩けば朝顔やにがうり、千成ひょうたんにきゅうり、皆それぞれに蔓に表情があって面白い。
ここ数年、にがうりを育てている家が増えた。葉にも苦い匂いがあるので虫を寄せ付けないし、夏の間十分に楽しめるほどに収穫もできるので、人気があるのだろう。
朝顔の目の覚めるような青、ひょうたんのシャーベットのような青磁色、夜に咲く夕顔の純白は涼を運んできてくれる。場所さえあれば全て集めて緑の長〜いカーテンをつくってみたい…が、残念ながら葉歩花庭にはそれほどスペースがないので一種植えで、夕顔の花は8月中旬の頃、夜に咲きはじめ、お客さんを出迎えてくれるだろう。

られる空間なので、夏になると少し重く感じてしまう。そこで涼感を加えていく。
窓には千葉の職人さんの作品、竹の簾を掛ける。これは矢羽模様を抜いて作られている珍しいもので、盛岡の光原社で見つけた。ここは確かな職人さんの手仕事が感じ取れる工芸品を集めてある。
瞬く間に時間が過ぎてしまう、私にとって危険な場所。

生け花の器には籠や硝子が主となる。硝子の器を使う時には水も生けるような気持で。濁っていては涼は得られない。
そこに形のユニークな葉や蔓、青い実などを生け、露を打つ。
それだけで体感温度が変わってくる。目や耳に涼しさを感じるのは不思議なものだ。
エアコンの無い時代の昔の人の暑さ対策。それは日常を大切にし、それが極めて芸術的なことが垣間見える。今の便利な生活からは生まれなかった物たち。
先日神楽坂でお祭りがあった日のこと、女性のお客様が皆それぞれに絽の着物や浴衣姿でお見えになった。しゃり感のある白い着物地とすっと結い上げられたまとめ髪に胸のすくような思いがした。
お客様が涼を運んできてくれた素敵なひとときだった。
利休の言葉から
夏はいかにも涼しいように
冬はいかにもあたたかなように
炭は湯のわくように
花は野にあるように
あたりまえのことが実は一番難しい、この言葉の意味を葉歩花庭というフィルターを通して
少しづづでも店に反映できたらと日々考えるばかりである。